さてさて

生きてると年をとるんです

一銭店や(いっせんみせや)

秋らしい風のふく、落ち着いた一日になりそうです。


台風の被害復旧がなかなか進まない皆様には、どんなに辛い毎日かとお察しいたします。

一日も早い完全復旧を、お祈りしています。


タイトルは約半世紀も前の話ですが、一銭という貨幣があったわけでも、使えたわけでもありません。


多分…銭という単位の貨幣が使えた時代から続いているから、その店はそう呼ばれていたのでしょう。


正確な店名は知りません。


子供相手の駄菓子屋でした。


私が子供の頃には、そんな駄菓子屋があちこちにあった…ように記憶しています。


店内は、子供が心浮き立つようなカラフルに包装された、駄菓子、オモチャの類いで一杯でした。


特に人気があったのが、くじを引く種類の物でした。


大人も子供も、運を試したくなるのは同じなのでしょうね…


当時の小遣いは、一日10円が相場でしたから、それで最大限に楽しむため考え抜いたものです。


くじ引きは、だいたい5円でしたが、大きな風船が一等のくじなどは10円でした。


当時の私は一日の小遣いを、一回くじを引いて終わる度胸?がなく、とうとう10円くじを引けないままでした。


あの辺りにずっと行っていませんが、もう店は無いでしょう…


最後に行った時、店番に出てきたのは 体を悪くしたおじいさんでした。


前は、おばあさんが店番をしていたのです。


後から親が、あの店のおばあさんが亡くなったと、誰かから聞いてきました。


そう言えば、駄菓子屋の店番をしていたのは、おばあさんが多かった気がします。


子供相手の商売だから、おばあさんがちょうど良かったのか、おばあさんの小遣い程度の売り上げだから、若い人がやらなかったのか…よくわかりません。


で、手持ちの小遣いを使いきってもまだ未練があります。


そこで、ポケットを探ります。


一円玉があったらしめたもの!


当時は何故か一円玉が今よりたくさんあったのです。


家の中を探すと、どこかにありました。


駄菓子屋では、硝子の入れ物に飴を入れてありました。


色んな飴がありました。


それは、二つ、二個で一円でした。


当時ももちろん、一円以下の貨幣単位などありません。


つまり、一個じゃ買えないのですが、どういうわけか


その一銭店やのおばあさんは


『二個で一円だよ』


だから一円玉があれば、もう少し長く買い物を楽しめました。


一円玉の居場所がなくなりそうな今では、考えられない話でしょうね。


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