さてさて

生きてると年をとるんです

夏です、キッパリと

時々思うこと


自分の他人の、はっとするような眩しいこと


胸を塞がれるほど悲しいこと


などの経験の後


いつも感じます

『サイコロが転がったな』と


人生を生きるのは、サイコロをその都度振っているからだと 思います


人により、一マスの長さも内容も違うのは当然ながら、手にするサイコロも違う。


一般的な正四角形のものあり、多面体あり様々でしょう。


でも…大事なのは形ではなく そのサイコロにどんな目が組み込まれているか、それが持ち主の運命を決定しているように思えてなりません。


もうひとつ大事なのは、ついている目には出やすい目があるということです。


また、とても出にくい目もあるかもしれない。


生涯一度しかでないとか あるいは、一度も出ないまま、ただ角の一部としての役割しか果たさない目もあるでしょう。


サイコロに刻まれた目は、変えられない運命かもしれません。


しかし、出やすいけれど 良くない目を制御したり、出にくいけれど価値ある目を少しでも出しやすくすることは、ある程度可能かもしれません。


それは多分、自己研さんとか 人格上昇行動とかのくくりだと思っています。


まぁ…自分のサイコロを自分で見られないのは、


良きことなのだと信じます。


何でも分かるのは、決して幸せには繋がらないと知っていますから。

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