さてさて

生きてると年をとるんです

終戦記念日とは…

今日が終戦記念日だと昨日までは覚えていましたが、昼前にココスへ入ることに集中していた為、正午の黙祷が、出来ませんでした。


先人を偲ぶより、自分の目の前の欲望に忠実な私…


残念な現実ですが、仕方ありません。


今の日本なら、大体の家系に、先の大戦の戦没者がいるでしょう。


一人も居ないという方が、珍しいのではないかと思います。


私の父方の伯父たちも犠牲者でした。


兄は生還しましたが、戦地で得た病により、数年後病没。


下の兄は、名ばかりの海軍兵でした。乗船する軍艦が無く、南洋の島に置き去りにされ、そのまま遺棄され亡くなりました。


私が中学生になった頃のお盆に、上の兄の奥さんから、印象的な話を聞きました。


上の兄は、出征前に結婚し二人の子供がいましたが、下の兄は未婚でした。


下の兄の戦死通知を、兄嫁は姑と一緒に受け取っていました。


舅、私から見た祖父は亡くなっていました。


当時は、戦死の知らせを受けても、帰還する人もいたりしたそうで、諦めきれず待つ家族も少なくなかったとのこと…


父方の祖母もその一人で



認めようとしなかったそうです


そんなある日、近くの地域に帰還した人がいたそうで、その人は下の兄を戦地で見たから 親に話をしたいと伝えたそうです。


それで家を訪ねてきたそうですが、母親である祖母は会わなかったと聞きました。


事前に、亡くなった状況を話したいと言ったからか


生きて帰還したそのひとを見たくなかったからか…


会わなかった理由は分かりません。


代わりに会って話を聞いたのが兄嫁、私から見た義理の伯母でした


戦地では、近くの部隊同志の交流が、あるていど認められていたらしいのです。


近くの出身者同士なので、その人は下の兄を訪ねたら、病に罹患し栄養失調で、到底助からない様子だったと


『自分はもうダメだから、これを親に持って帰って欲しい…』


と、自分の腕時計を差し出したそうです。


しかし、その人は


『自分も生きて帰れるかどうか分からないので、預かれない』


そう言って戻ったそうです

が、どうにも気になったので翌週再び尋ねると


無くなっていたそうです。


その人は、腕時計を預からなかった後悔と、自分だけ帰還したある主後ろめたさを


祖母に会って説明することで、振り払いたいと思ったのだろうか…


祖母に会えなかったその人が、その後どう生きたか知るよしもないが


祖母はその後、下の兄の軍人恩給を生涯受け続け、同居する家族から大事にされて85才の寿命をまっとうした。


上の兄は、帰還後病没なので、兄嫁は一円も貰えなかった。


みちのく寒村で、軍人遺族年金は祖母を最後まで支えてくれた。


今日は終戦記念日


そして 年金支給日


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