さてさて

生きてると年をとるんです

自衛隊と仲良し!?

秋晴れの良い一日になりそうです。

台風被害の後片付け、復興が早くなされるように祈り続けています。


近隣の地区では、飼育していた牛が8頭も水害死してしまい…もう畜産を維持できなくなり、廃業するそうです。


稲刈り間近の田んぼが全滅し、野菜を栽培していた畑まで貯水池損壊により水浸し…


イチゴ農家も果樹農家も多数水害に見舞われ、皆さん疲弊しています。


もうすぐやって来る寒い冬…果たして無事に年を越せるのでしょうか…


辛くて悲しい年の瀬になりそうです。


朝の情報番組の中で、神奈川県のある町を取り上げていました。


断水して町民が水を欲しがっているから、早く水を調達するため、町長は県に自衛隊派遣を要請すると同時に


直接自衛隊に、給水車派遣を要請した


町長の弁では、


町民が早く水を欲しがっていたから


自衛隊と以前から親交があり、知っていたから…だそうです。


そして、その町長からの要請で自衛隊は、県からの要請が無いまま現地に向かい早く到着し、県からの要請を待って現場待機


何と6時間近くも!!


結局、県からの給水車が到着したため、自衛隊は空戻り


時間と人員を無駄にしたのです。


給水車3台に何人乗車していたのか…


駐屯地を出発し、待機し、また駐屯地に戻るまでの長い時間を


一つの町の為に浪費したのは正しいのでしょうか?


正しい手順を踏まなければ実働出来ないと分かっているのに、何故見切り発車したのでしょうか?


給水車に乗車していた隊員達は、みんな正式な訓練を受けた人達です。


助けを求めていた他の場所に行っていたら、救える命があったのでは無いでしょうか?


怯えながら助けを待っていた人々を、もう少し早く避難させる助けになったのでは無いでしょうか?


町長曰く


『以前から親交があり、親しかった…』


どうしても、この言葉が頭から離れません。


親しくしている場所なら、正式な手順を踏まずに、見切り発車で先に来てくれるの?


他の場所は、どんなにか今すぐ助けが欲しくても、手順を踏んでいるのに…


待機していてくれたら…


こんなに死者を出さなくて済んだかも


その思いはぬぐえません。


隣町では避難場所が孤立し、自衛隊の助けが来たのは翌日でした。


つくづく、


浮き世の風は、人の気持ち次第ですね



そう言えば…秋でした。

古い話で恐縮ですが、私が小学生中学年の頃一人の転校生が来ました。


田舎町ですので、転校生は割りと珍しい存在でした。


女の子でした。


同じクラスと、席が近かったとか、そんな理由で少し親しくなりました。


ある時彼女の誕生会に呼ばれて行きました。


私の他に二人来たと覚えていますが、誰だったかはもうわかりません。


その日は多分日曜日で、晴れていました。


行ってみて驚いたのは、家に居たのが彼女1人だったことです。


当然こちらは子供ですから、色々尋ねました。


『あれ、お父さんは?お母さんは?』


『家に誰もいないの?』


今思えば…何て無遠慮で失礼な子供たち


彼女の話をまとめると、


お父さんは警察官、お母さんは看護婦、仕事先が離れているから、自分達はお父さんと暮らしている。


『自分たち?』


彼女には妹が居て、今日はお母さんの所へ行っているとの事。


じゃあ今日はどうなるんだろう?

などという心配は無用でした。


人数分のお昼ご飯が出てきました。

聞けばお父さんが、出勤前に作っておいてくれたとか…


驚いたのはその後です。


何と!茶碗蒸しが出てきました。


蒸したての熱々で、彼女お手製でした。


その時私たちがどんなに驚いたかを伝えるのは、かなり難しいでしょう。


何せ、当時私も他の二人も調理をするなんて考えもしないし、やったこともありませんでしたから。


しかも、茶碗蒸しなんて…


聞けばお母さんに教わったのだそうで、彼女はお父さんが宿直の日は全ての家事をやっていると言っていました。


茶碗蒸しは美味しかったですし、作るのに慣れているのを感じました。


食事が終わり片付けが済むと、彼女は何故かカーテンを閉めはじめたのです。


『何するの?』


『しっ、誰かに見られるとまずい』


?????


そして押し入れを開け、小さなケーズを出してきました。


それは麻雀パイでした。


見たのも触ったのも生まれて初めてで、とても貴重な経験でした。


私は後にも先にも、麻雀パイに触ったのはこの時だけです。


当時は存在さえ知りませんでした。


多分、多分


触るなよ!と言われていたのでしょうか…


ずっと時が過ぎて思い返し、何か不自然だとの想いにとらわれました。


夜勤は警察官も看護婦も同じくらい…しかも警察官は転勤が有るのに


何故…お母さんではなく、お父さんと一緒に暮らしていたのだろう?


あの誕生会の日に妹がお母さんの所へ行って、何故彼女は行かなかったのだろう?


あの日当日が誕生日でもなかったのに…


彼女はそれからすぐくらいに、また転校して行きました。


どこへ行ったかわかりません。


さよならの言葉も交わさなかった、そんな別れでした。


今はどこかで、人生の実りを収穫していて下さい。


風吹く秋の日にふさわしい


ちょっと不思議な思い出です。



秋の日暮れ後

台風の被害からの回復はまだまだですが、それでも時は進みます。


生きている限り前へ、前へ歩まなくてはなりませんね。


秋の深まりと共に日が短くなり、日の暮れが早くなると何故か…もの悲しい気持ちになります。


別に秋に憂い事があったわけではないのに…多分


早く暗くなり、じわじわ寒くなるからでしようか


暗いと余計に寒く感じませんか?


灯りが点いただけで暖かく感じるのと同じ、気持ちの問題


錯覚ですね


まだ小学校にも入らない子供の頃、秋になると


近くの山へよく行きました。


栗拾いや、キノコ採りです。


行きたくて行ったことはなく、母親に連れられ仕方なく


嫌々でした。


農家出身の母親は山歩きが好きで、呆れるくらい連れ回されました。


春から初夏にかけてはワラビ採りに血眼になり、秋にはキノコ採り


背負いきれないほど採り、一人悦に入っていたのを思い出します。


しかし、私はほったらかされ

ただ付いて歩くだけでした。


私を連れて行ったのは、一人で留守番させておけなかったからで、特段面倒見たり、何かを教えたりとか…そういうことをしない人でした。


ただただ、自分だけ楽しんで、それで良いと思う人でした。


連れ回される私の心配など、したことなかったな…


思いがけずたくさんあって、暗くなるまで帰ろうとしない時など、泣く声も出ないくらい疲れたのを思い出しました。


優しい人ではなかったな…


秋の日暮れが早いから、忘れていた昔を思い出しました。


少し悲しいです。