さてさて

生きてると年をとるんです

夏です、キッパリと

時々思うこと


自分の他人の、はっとするような眩しいこと


胸を塞がれるほど悲しいこと


などの経験の後


いつも感じます

『サイコロが転がったな』と


人生を生きるのは、サイコロをその都度振っているからだと 思います


人により、一マスの長さも内容も違うのは当然ながら、手にするサイコロも違う。


一般的な正四角形のものあり、多面体あり様々でしょう。


でも…大事なのは形ではなく そのサイコロにどんな目が組み込まれているか、それが持ち主の運命を決定しているように思えてなりません。


もうひとつ大事なのは、ついている目には出やすい目があるということです。


また、とても出にくい目もあるかもしれない。


生涯一度しかでないとか あるいは、一度も出ないまま、ただ角の一部としての役割しか果たさない目もあるでしょう。


サイコロに刻まれた目は、変えられない運命かもしれません。


しかし、出やすいけれど 良くない目を制御したり、出にくいけれど価値ある目を少しでも出しやすくすることは、ある程度可能かもしれません。


それは多分、自己研さんとか 人格上昇行動とかのくくりだと思っています。


まぁ…自分のサイコロを自分で見られないのは、


良きことなのだと信じます。


何でも分かるのは、決して幸せには繋がらないと知っていますから。

暑い夏

暑くなり、夏らしくなってきました。


暑いのは好きではありませんが、夏になるとこの世のヘリを感じます。


まだ小学校にも上がらぬまま亡くなった兄がいた。

ずっと私を守ってくれていると信じていた。


本当のところはわからないし、信じていたのも 今となってはあやしいものだ。


自分に都合のよい理由を勝手につけ、そう思い込みたかっただけかもしれない。


そのくらい私には、守ってくれる身内がいなかった。


半世紀以上過ぎた今でも同じようなもの。


つい数年前まで 夭逝した兄に支えられて生きていると、本気で思っていた私は


非力で幼稚な バカ者なんだろうな…


兄が生きていたら、沢山の迷惑をかけたかもしれないし、うんざりさせたかもしれない


でも…助け合ったり出来たかもしれない。


お互いの存在を喜びと感じ、身内のいる幸せを噛み締める人生になったかも…


写真に写る容姿は私に似ていたから、多分気が合ったかも


全てが確かめようの無い話。


絶縁状態の母親と妹には無縁の話。


私は生きれば生きるほど、1人だ


また…諦めたはずなのに


兄にすがりたくなってしまいそうだ。


とっくにいなくなっているのを、まだ私は受け入れられない

暑くなったけど…

やっと夏 です。


寒い長い梅雨の間に、何びきもの飛び立つ前の蝉を見ました。


湿気で脱皮出来ないまま、あの世に行ってしまいました。


蝉に無念 というような感情があるかは疑問ですが、与えられた運命を受け入れる


潔さ は、


あるかもしれません。


今日もあちらこちらの妖怪が動いています


近所の建設工事がいつまでも、終わらず、

ある意味感心しました。


あんなに悪びれず堂々と、迷惑かけ倒せるのは、一種の才能かもしれない。


こんなに暑いと、尾長は辛いかな?


雨を連れてくる鳥だから、暑いばかりの日々は苦手かもしれない。


人間の欲望と狡さは、灼熱の暑さ


私の大嫌いな暑さだ。